状況の変化、そして関係の変化

それは突然だった。

夫から、来月に会社都合で退職すると告げられた。

今まで夫の収入で生活していた。(生活費は子どもが増えるにつれ、理由をこじつけ少しずつ減らされていたが)

以前は、生活が苦しいので仕事に出たいといったところ、夫は反対した。

それなのに、自分の都合で今度は働いてという。

 

ここから、生活費は一切もらっていない。もらっていないうえに私から生活費を借りるのだ。

パートの私の給料三か月分強の額を貸してというのだ。

そんなに何にかかったの?と聞いても「…生活費。」

「じゃあ、お前が住宅ローン払うか?」とキレる。

 

どうせスロットでしょうが!

 

自分は負けていない、トータルで勝っていると。

 

自転車操業

 

そのあとも10万貸してなどと気軽に言う。

 

私が以前、子供の通院などでかかった月に生活費足りないからくださいと言っても

じゃあ来月分から引くからね、と言っていたのに。なんだこの人は。

 

利用されているとしか思えないので、自立をしていこうと思った。

まずは、自分で稼げるようになりたかった。

 

より良い収入を目指して、仕事や育児や家事の合間に勉強をして1年で資格を取得した。

 

その間にも約1年、夫はパチスロに毎日通うだけの日々。

なんとしてでも、家族を養うという気持ちはあるのか?早く仕事を見つける気持ちはあるのか?資格の勉強をする気はあるのか?…

 

 

夫に生活費を渡されなくなって、明日のご飯のお金はどうしようというところまで追い詰められた。

絶対に子供にひもじい思いはさせたくないという思いだけで頑張った。職場のつまらないイジメにも耐えたし、苦手なこともやり抜いた。

 

夫の父と同居している。

いまだに夫は父に、朝起こしてもらっている。ご飯も自分で作れない。洗濯もできない。掃除もしない。

仕事するだけ。

 

尊敬するところがあって結婚したはずなのに、今は何も感じない。

 

腹が立つので、同居人だと思おう。

 

 

妊娠中のこと。

私には子供がいます。

今回は、妊娠中の話をしたいと思います。

 

妊婦は病気じゃない

 

というのが妊婦中に夫によく言われた言葉でした。

ある日、夫と買い物へ行きました。夫は何を急いでいるのか、(多分早くパチンコへ行きたいため)いつもせかしてきました。

 

早くしろよ!

 

会計が済み、買ったものを袋へ。

もちろん持ってはくれません。その重い袋を両手に持ち急ぎ足。

 

そして、

早くしろよ!

 

私は、旦那さんが何も持たず、お腹の大きい奥さんに荷物を持たせている光景を見たことはありません。

旦那さんがすべて持ってくれているのを見ると、優しい旦那さんですね、と羨ましく思います。

 

それから、夫の実家に行った時のこと。

その日は、少し外にいるだけで汗が出てくるようなとても暑い夏でした。

 

 

おい、車の油膜取りしろよ。

 

 

車の窓の油膜取りしたことありますか?

あれは結構大変で、力がいります。

まず、クリーム色の液を塗っておいて乾いたら、タオルでゴシゴシ擦って落としていきます。それから、水を弾く液を塗ります。

 

汗だくだくクラクラになって家のなかに戻ってみると、アイスを食べながらマンガを読んでいる夫がいました。

 

あ~、終わった?

 

 

人の皮を被った鬼か悪魔だと思う瞬間が他にもたくさんありました。

 

確かに妊娠は病気じゃないけれど、命の危険とは常に隣り合わせです。私は、それを痛感しました。これが原因かどうかは分かりませんが、切迫早産となり…。

 

夫に言われたことを、記憶力の悪い私が今でも忘れられないのは、強烈に怒りを覚えたからでしょう。

 

 

お前は、俺の言うことを聞いたらどうのこうの言うが、

じゃあ死ねって言ったら死ぬのかよ!

という言葉も衝撃的でした。

 

何を言っても訳の分からない理由をつけられ言い返すことにもだんだん疲れてきました。誰のおかげで生活できてると思っているんだ!と言うので、生活費を渡されなくなったらどうしようという思いで言う通りにしていました。

 

事あるごとに激怒している夫を見て、同居している義父はどちらにも理由も聞かず、私のほうに

「謝って許してもらえ」と言いました。

義妹が不倫して実家に戻って来たときも、理由も聞かず旦那さんに謝れと。

いつでも自分の子供は悪くないという考えなので話になりません。

 

一度電話での、DVによる離婚の相談をしたことがあります。

その時に言われたのが、

暴力を受けたりしてるわけではないなら、あなたがもう少し元気になられてから動いた方がいいですよ、ということでした。

 

ここの環境に身をおいていて元気になれるときなんて来るだろうか、と絶望的になりました。

 

離婚しても何されるか分かりません。

それだったら、そばにいて怒りを買わない方法を実行するしかないと思いました。

 

 

あなたは結婚した相手を何と思っていますか?

家政婦ですか?

物ですか?

自分がしてきたことをされたらどうですか?なんとも思いませんか。

 

こうして書くことで、私の怒りと思い出を封印したいです。

 

 

新婚旅行から変わった夫

 

世間では芸能人の結婚が話題になってますが、末永く幸せになってほしいです。

 

結婚20年。

 

この短いようで長い年月、結婚生活色々ありました。

 

私の思ったことを素直に、自分の日記に書くように飾らずに、簡単な言葉で記していきたいと思います。

 

日々、子育てで忙しすぎて社会との交わりもなく過ごしてきました。モラハラという言葉を知ったのは多分10年程前で、もしかしたら殴るなどの暴力はありませんが、夫から受けた様々なことはDVだったかもしれないとも思っています。

 

理由は、夫婦生活が私が嫌でも無理やりされていたことでした。夫婦だから我慢しなくてはいけないと思っていました。

でも、それも暴力でした。

こんなこと人に聞く機会はないですし、親やきょうだいにも聞けませんでした。

 

夫は結婚してガラッと変わったのですが、一番初めは新婚旅行の時にケンカになり、そこで確かな違いを感じたのでした。

 

怒りだした原因は、お店で食事した時に、会計の時になって私がトイレへ行きたいと言ったことでした。

ただそれだけのことですごく怒って怒鳴りまくっていたので、驚きと恐怖で私もパニックになりました。

 

…もしかしてヤバイやつと結婚したかも。

結婚に失敗したかも。

という思いが頭をぐるぐるしていました。

 

ケンカの末、もう離婚だ!となり夫はなぜか妹へ電話。私の目の前で私の悪口を話していました。

その後、妊娠中の私に向かって

俺は妊娠五ヶ月でも堕ろせるところ知っているから

ととんでもないことを言い出しました。

 

これは、子供も私も殺されるのでは?と思ったので平謝りしました。自分が悪かったと。

ご機嫌をどうにか取り戻して、無事に家に帰ってきていつの間にか離婚の話はなくなりました。

 

それも、初めはおかしいと思っていましたが、結婚生活の途中からこんな風に思うようになりました。

 

「あぁ、もっとスムーズに会計して帰れるように私がトイレへ行きたいということを早めに言い出せば良かったのね…気づかいが足りなかったのね。」

 

洗脳が多分とけたであろう今は

 

「ハァ?」

 

 

 

これが、モラハラ夫との生活の始まりです。

 

ちなみに今は、夫が生活費を渡さないので、私も夫にご飯を用意しません❗

(そもそもいると思ってません。)

義妹とも個人的に付き合いしません。

 

私の視界に夫が入ったり夫のことを考えると過呼吸になってしまうため、別の部屋で過ごしたり出掛けるようにしています。

 

離婚したとしても、何もダメージのない、親としての責任もとらないであろう夫とは離婚しません。

結婚というものを最大限に利用させてもらいます。

 

 

最後まで読んでいただきありがとうございました!

 

私と似たような環境の方が幸せな道を見出だせることを祈ってます。

 

 

 

 

結婚、それから子供と幸せになる道へ

私が結婚した男はモラハラ、ギャンブル依存

 

結婚してもう20年。

正直、結婚に良いイメージはなく興味はありませんでした。

 

夫とは好きで付き合ったのですが

性格が合わないかなと感じるようになったため、別れようと思い話をするも取り合ってもらえずにそのうち妊娠し結婚するに至りました。

色々な理由で、実家を出ていきたかったのも理由です。

 

 

 

新婚旅行へ出発の時からすでに

態度をガラリと変え

あれっ?

と思うことの連続でしたが

今更、簡単には離婚も出来ず

いつか状況が良くなるのではないかと期待し

生活を続けてきました。

 

 

 

生活は自分のしたいときにされ

私の気持ちなんて全く無視

本当に鈍器で殴ってやろうかと思うくらい

怒りと悲しみであふれていました。

 

自分都合の買い物へは

こちらの都合は無視で

引き連れていくのに

休みの日のたびに一人で出かけ

開店から閉店までパチンコ店で遊び

仕事のある日は終わってから閉店まで

 

 

たまに子供と私をレジャーに連れて行ってくれた時もありましたが

終始機嫌が悪く怒鳴り

お前が俺を激怒させてるんだ!と言い

 

 

家賃が惜しくなったのか

(おそらくギャンブルの借金にあてたのでは)

夫の実家で同居(義父と)を勝手に決め

そこで私は、過呼吸過敏性腸症候群になりました。

このときの、死ぬかもしれないと感じた苦しさを過呼吸だということは後から知りました。

 

義理の妹が不倫して実家に帰ってきて

一緒に生活する時期もありました。

義父は、話も聞かず義妹の旦那さんに

「謝って帰ってきてもらえ」

と自分の子供はどんなときも悪くないというその考え方が、事あるごとに私の大きなストレスとなりました。

 

 

夫は、きょうだいや知り合いの前では

いいパパのように振る舞い

怒鳴り散らすこともありません。

 

 

平日の義妹の分のご飯も私が作ることになり

納得はいきませんでしたが

抗議すると離婚だ、私の親に食って掛かる

などなど面倒なことになるので

いうことを聞くほかありませんでした。

 

仕事をしていると偉いそうで

俺は別格だから別のテーブルで食べる、と。

 

お前は主婦だろ

高熱があっても起きてご飯作れよ!

 

この家では俺のいうことが

絶対なんだよ!

 

玄関先で行ってらっしゃいと言ったら、

お前らのために働いてんじゃねーよ!と

 

お前はバカだから

義父に、あいつはバカだから

 

などなど吐かれました。

激怒するぞ!が口癖でした。

 

すっかり自分に自信をなくし

自立する力もすべもなく

私は安全に生活するためには

ただ機嫌をとって上手くやっていくしかない

と思いました。

 

少し前、子供を虐待し亡くなってしまうニュースがありましたね。

父親はモラハラ、DVだったという記事を目にしました。

 

母親はなぜ夫から逃げられなかったのか?

日々一緒に生活すると徐々に洗脳されていってしまいます。

 

それはブラック企業に勤めているのととても似ていると思います。ここでやっていけなかったらもう終わりだと思えてきます。

 

結婚したならば良い家族になる努力をしようとします。

でも、努力の方向を間違えてしまい

それにも気づけないくらい

自分の考えも奪われてしまった。

 

 

 

たまに結婚前のことを思い出します。

夫が車の運転をしている際

自転車や歩行者の方に対して

なにしてんだよこのババァ

などと言っていたことや

親に対しての態度が悪かったり

店員さんに対しての態度が年上に対しても

最初からため口など

危険なサインは出ていたのに

好きなため見てみぬふりをしてしまったのが

 

一生のパートナー選びの大失敗でした。

 

好きで欠点も可愛く思えるとか

勘違いしては駄目です。

結婚する際は、相手を

よくよく見てほしいです。

 

誰でもパートナーとは

大事にし、大事にされる仲でいたいですよね?

私が思うには、親への態度がいずれ妻や子供に対しての態度になると思うので、そこが結婚後も大事にしてくれるかどうかの見極めのポイントかと思います。

 

 

離婚しようと

何度も何度も何度も思いましたが

離婚すればいいなんて

決して簡単ではありません。

 

私は子供と幸せになるため

子供が成人するまで離婚はせず

夫から自立をしようと決心しました。

 

 

そのチャンスは訪れました。

今の最悪な状況がずーっと続くわけでは

ありません。状況は必ず変化します。

 

正直、旦那さんに大事にされてるという話を聞くとなんとも言えぬ気持ちになってしまいますが。

 

紆余曲折しましたが、(今もガタガタですが)

自力で資格を取得し、仕事を見つけた今は

私はこれからは

自分と子供を大事にして生きていこうと思います!